吉増剛造,マリリア【葉書Ciné】#13「超古代と超現代と超未来を結ぶような素晴らしい詩人だった」2020.7.23(Quintafeira)

当動画の編集と運営は、書肆吉成とコトニ社が共同で行っています。

詩人・吉増剛造さんとシンガーソングライター・マリリアさんのgozo’s DOMUSというチャンネルで、 2020年4月30日より毎週木曜日に映像詩「葉書Ciné」をアップしています。

葉書詩 吉成秀夫氏に 16 JUL 2020 PM5.30
故岡田隆彦の思い出が顯(た)つときと、一九六〇年代の初頭に一心に聞いていた…セロニアス・モンクのピアノの魔力がいまここで判るということが、襲(かさ)なるなんて!
ピアノの底に幼児が棲んでいるのよ、…ね、オカダ、ね、オカダ

マリリアさんの歌「親友(とも)の死を哀傷(いたみ)つゝ、巴里の春の朝、霞のような光のなかで」(『「雪の島」あるいは「エミリーの幽霊」』集英社、1998)より

La Déploration
GÔZÔ YOSHIMASU

Chenal de bateaux pour tatouage du cœur,
dans le pays des vieux moulins à vent
poulains de ≪ souvenirs du vent ≫, ≪ nous sommes des bêtes fragiles…≫
parlant ainsi, je continue à être en vie, j’ai levé les yeux vers un ange doré

Chenal de bateaux, sillage de bateaux, étaient, peut-être,
le voyage de l’eau…
peut-être aussi bombement du rêve d’une poignée,
d’une cuillerée de la licorne qui chuchota
≪ pas de soulier de satin dans le vaisseau spatial ≫

澪(みを)を心の刺青にして、古風車の地の、“風の思い出”の仔(コ)(馬?)
“わたしたちは弱い獣だ、……”
と云いながら、わたしはまだ生き延びていて、“金色の天使”を見上げた。

澪(みを)、水緒(みを)こそが、水の旅であったのかも知れなかった、……
“宇宙船には繻子(しゅす)の靴がない”と粒焼(つぶや)いた一角獣の一掬(ひとすく)い、一匙(ひとさじ)のゆめ、の、ふ、く、ら、み
 であったのかも知れなかった