宇波彰「ラカン的思考」【書肆吉成の買取古本紹介 第4回】

宇波彰先生は翻訳者としてベルクソン、ボードリヤール、ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ、ラカンなどフランス現代思想を数多く翻訳・紹介し、また思想家・哲学者として幅広く活躍されました。私吉成は約20年前に出会い、学恩をうけてきました。2021年1月6日に惜しまれつつ亡くなった宇波先生を偲び、遺著となった『ラカン的思考』を中心に、宇波先生の哲学を「手紙の星座」として振り返ります。

紹介文献は以下です。
ラカン的思考(作品社、2017年)
旅に出て世界を考える(論創社、2004年)

以下は撮影時に用意した原稿ですが、撮影にあたり省略や脱線があります。

1933年1月24日生まれ、2021年1月6日没 87才翻訳家、批評家。フランス現代思想の紹介者。
私は2001年4月頃より交流を持ちました。当時は68才だったのでしょうか。非常に悲しく、非常に残念です。驚いたのは、宇波先生を悼むメッセージをたくさんツイッターで見たのですが、そのほとんどすべての人が手紙の文通をしていたことです。宇波先生は手紙魔だったのです。どれほど多くの人と差し向かいで言葉を交わされたのでしょう。山口昌男先生や子安宣邦さんとは東京大学の同級生とのことです。
私にとっては、ボードリヤール、パース、ラカン、バシュラール、カイヨワ、野村修のベンヤミン関係を読んで一人でうーんうーんとうなって考えていたことを、その思想をとつぜん明瞭に語る人が現れたことに対しての憧憬と驚き、喜びがありました。とっても嬉しかった。
あまりにすっきりと概念が結びつくので、なんだか狐につままれたように、呆気にとられた感覚を覚えています。
講義を継続して受講したわけでありませんが、何度かの講演の聴講と、飲み会の席などで、先生の謦咳にせっしました。いつも肩こりを辛そうにしていて気の毒だったことや、泳ぎが得意なことをよく自慢していたことを懐かしく思い出します。
その後、私が書肆吉成を独立開業する際には、研究室の本をいくつか売っていただきました。本にはしばしば黄色い色鉛筆の線があったのですが、とても良い本で最高に嬉しかったです。また、私が発行していた小冊子アフンルパル通信には連載をくださいました。詩人・吉増剛造先生はいつもアフンルパル通信に載る宇波先生のエッセイを貴重なものといって手紙をくれたものです。私は宇波先生にいくら謝礼をお支払いすると言ってもいつも「出世払い」でと言って、寄稿下さったものでした。
宇波先生が札幌大学を離れてからは、明治学院大学で行われていたラカンの研究会に私も一度だけ参加させてもらい、岩見沢出身の詩人・ヤリタミサコさんと出会いました。ヤリタさんはフルクサス、E・E・カミングスの訳詩、ビートニク、左川ちか批評、ヴィジュアルポエトリーの活動があります。小説家の氷室冴子の同級生で親しかったそうです。そんな「偶然の繋がり」を作って下さったのも宇波先生でした。
私が宇波先生に師事していたころ出版されたものに『旅に出て世界を考える』というエッセイ集があります。この本はすごく面白いです。世界を旅して目にしたものを淡々と書き継いでいくのですが、その繋がりが非常に独特で、ちょっと奇妙なのです。一つご紹介しましょう。札幌についてです。「雪まつり」「新千歳空港」「苫前の風力発電」を見てゆきます。
ほかに小樽をトポフィリア(場所愛)を感じる町として書いているエッセイもあります。伊藤整が好きだったそうです。また山口文庫についてのエッセイ「ネルヴァルとシクロフスキイ」があり、巖谷國士さんの指摘も言及されます。
さて、『ラカン的思考』ですが、これは2017年に刊行された遺著となります。ラカンは精神分析学者です。ちょっと狂気じみた印象がもたれている人です。「我思う、ゆえに我無し」。すなわち「私は考える、したがって私は存在しなくなる」なんて言う人ですよ。意味わかりますか?このテーゼについても、本書の前半で「ごく簡潔に」と言っていいような手さばきで論述されますので、ぜひぜひお読みください。前書きで宇波先生は「本書において私が目指したのは、哲学的な思考の探求である。・・・本書はけっして「ラカン入門」ではなく、ラカンの思想の祖述でもなく、またラカンについてのアカデミックな研究でもない。」と書いており、ラカンに多くを負いながら、あくまで宇波彰の思考を展開してみせているのが本書です。あとがきによると、2006年の講演と、2007年から2014年の明治学院大学「記号哲学講義」がこの本のもとになっているといいます。しかし、今回読み直してみて、2001年頃に私が直接宇波先生から聞いていた概念が頻出していることに気がつきました。宇波先生の関心はずっと続いていたのです。当時、新宮一成『ラカンの精神分析』(講談社現代新書)を生徒に薦めていたのを覚えています。この本に書かれていることで、すでに鏡像段階、三領域論(リマジネール、ル・サンボリック、ル・レエル)、アルチュセール「イデオロギー装置」やパスカル『パンセ』との思想的繋がり、その「事後性」、パースの無限記号連鎖や漂流(ドリフト)、ベンヤミンの星座といった話はよく聞いた記憶があります。その他、カント、フロイト、ハイデガーの「崇高と不気味なもの」、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの「帝国」「マルチチュード」の話も伺っていました。なかでも、本書において大きなウエイトを占めるのが「事後性」です。これは、過去があらかじめ自明なものとしてあるのでなく、つねに現在が過去を照らすことで、あくまで現在において過去が作られる、あらわれる、というものです。また、シニフィアン(かたち)とシニフィエ(意味)の関係において、つねにシニフィエがあとから作られることが論じられています。視覚的なものや言葉の概念だけでなく、身体においてはマルセル・モース「身体技法」、ブルデュー「習慣(ハビトゥス)」を援用しながら、やはり身体所作が、心の内的なものを規定することを論じています。その「事後性」において何度も「反復」される世界があるのが了解されると思います。考えてみれば、宇波先生の中心的な仕事である「翻訳」は、アレゴリー、「別なものの創出」、「反復」、「無限記号連鎖」という概念で捉えれそうです。p131、本書に非常に特徴的なこととして、さすが翻訳者として多くのフランス現代思想を日本に紹介したひとだなと驚嘆するのですが、言葉(ターム)をフランス語、英語、ドイツ語、日本語のなかで解析していくのがなんともスタイリッシュで、その言葉の「意味するところ」のイメージをくっきりさせてくれる箇所が随所にちりばめられています。

ぜひこの本をお読みいただいて、宇波彰の思考を唯一の特徴だけでも自分の頭に転移していただければと思います。
ここでは、1エピソード、私が一番「ムネアツ」と感じ、読んでいて「うわぁ、これ最高だな」と思ったところをご紹介させてください。
本書の理論的な構築が済んだあとの部分で、ラカンの「同一化」概念の具体例として展開された「コレクション」の項をご紹介したいと思います。p212「ベンヤミンのコレクション」という小見出しがあります。2011年10月から2012年2月にかけて、パリのユダヤ美術歴史博物館で「ベンヤミン展」が開かれた、大半のものは「2006年にすでにベルリンで公開されたものであるというが」中略p214「ベンヤミンは書物はもとよりのこと、玩具、子ども向きの本、切手などの非常に熱心なコレクターであり、その一端はベンヤミンの1931年のエッセー「蔵書の荷解きをする」においてみることができる」(1931年は山口昌男先生の生まれた年)「しかしユダヤ人であったベンヤミンは、1933年(宇波先生の生まれ年)にドイツを去らなくてはならず、具体的なものとしての彼のコレクションは消滅したはずであった。」とあります。ベンヤミンは、ドイツを離れたのち1933年から1940年までをパリで過ごし、世界大戦の開戦によりスペインへ亡命をはかりピレネーの山中で自殺をして亡くなります。ドイツを去ったときコレクションは消滅したはずだったといいます。では、どのようにしてベンヤミン展が開催できたのか、なのですが、そのアーカイブスの作り方は「ベンヤミン特集のものであった」のです。p214を朗読させていただきます。「・・・」
どうです、めっちゃ、しびれませんか?ちなみに、本書から離れますが、国立図書館の司書だったジョルジュ・バタイユに原稿を託して亡命し、バタイユは原稿を戦後まで隠し続けたことで、いま私たちがそれを読めるようになっているということも、ベンヤミンの好きなエピソードのひとつです。
さて、この本は、宇波彰による「ラカン・コレクション」あるいは「ラカンの星座」と言えるのではないでしょうか。ここに収められた言葉の端々に「宇波彰」の思考の閃光(p136)を感じます。そういえば、宇波彰先生は葛西善三『椎の若葉に光あれ』という本を好んでいました。
これからもまた何度でも「再読」し何度でも「反復」してゆきたいと思います。宇波先生、ありがとうございました。(了)