吉増剛造,マリリア【葉書Ciné】#11「裏返すってことがやってくる…くるくる」2020.7.9(Quintafeira)

当動画の編集と運営は、書肆吉成とコトニ社が共同で行っています。

詩人・吉増剛造さんとシンガーソングライター・マリリアさんのgozo’s DOMUSというチャンネルで、 2020年4月30日より毎週木曜日に映像詩「葉書Ciné」をアップしています。

マリリアさんの歌

Na entrada da casa dos fogos『花火の家の入口で』

De pé no morro de fino véu, esperando serenamente um “dói”
palavras de Gelson
“Afundando a face em folhas de árvore, o predador unicórnio estava pensando
Na nave espacial não tem sapatos de satim”
De pé perto da entrada principal da USP
princesa. Katsura lunar…
Entrada pelo Rio Tiete, Tiete.

Bela, (de Aoume,…) Utsuki (você é…)?
Divindade do pé de Katsura de fino cinza parou na nossa senda de Oku e chamou para conversar

Ah Azulados ovos (e filhotes) amontoados no quintal
Shimo…Shimo
toRho, toRho
“Rirei” “Akikawa”

translated into portuguese by Olavo Ito.

花火の家の入口 薄いヴェールの丘に立ち、静かに”病い”を待っている
 Gelson(ジェウソン)の言葉
”木の葉に貌を埋めて一角獣は考えていた
 宇宙船には繻子の靴がない”
USP(ウスピ サンパウロ大学)の正門の傍に立って居る
 ――お嬢さん。月の桂、…。
チエテ川の入口

(青梅(あおうめ)の、…)うつくしい(貴女は、…)空木(うつき)?

薄い灰色の桂の木の神霊がわたしたちの奥の細道に佇んで話し掛けた

ああ
蒼ざめた卵(アズラードス・オーヴォス)(のこどもの)の庭に積ム
霜、…、志茂、…
吐穂(とほ)、…、吐穂、…
”里霊(りれい)”、秋川、…

『花火の家の入口で』(青土社)p36より(※一部改変「 Entrada pelo Rio Tiete, Tiete.(チエテ川の入口)」という詩行が元にはない。「石狩シーツ」に「チエテ、チエテ」がある)

葉書詩。―吉成秀夫氏に。
そんな道は、何処にもないのだけれども”病蠶(やまいご)の道”と名付けて歩んだ、三十年。誰(だれ)が? 誰(だれ)も知らない。少しひかって少しカーブをしていて、揺れてて、微笑(ほゝえん)でいる。”赤ちゃんの道”? うん、それに近いのね。頬(ほっ)ぺたって、ほんのり赤いじゃんか、…。その赤いのに似ている道なのね。やわらかなんだ、…。ゴゾhi


チエテ川、サンパウロの洪水
吉増「サンパウロにいるときに、チエテ川という川が流れていて、「チエテ」というのは、インディオの言葉で小鳥の鳴き声みたいな意味で、昔きれいな川だったらしいのです。それが時々氾濫すると、大学の構内まで来ちゃう。プロフェッサーが「あそこに線が残っているでしょう。あそこまで来たのよ」という。そういうときに僕は、ああ、そうか、あそこまで来たかと感応するんですよ。
 だから、川の手跡が見えると、さっきご質問なさった、詩が動き出す。それが見えないと動きださないですね。あれは、おもしろいもんだな。」
小林康夫「なるほど。それは非常に広い意味でのエロスですね。あふれてくるものですね。」
吉増「そのとおりです。それを今、詩にはうまく表現できないんだけれども、しゃべることはできるんです。
 サンパウロでは経済状態が悪いものですから、短いパンツをはいた女の子たちが売春婦として立っているんですよ。川が来てさわった線とその女の子が立っている様子を、さっきのベンヤミンじゃないけど、何か泉の絵にしようとしてかかる」
―文化創造の現場8「言葉が歩み出す瞬間」本(講談社、1997年4月号)

「蟻塚を前に歩みを止める―クロード・レヴィ=ストロース」今福龍太との対話『火ノ刺繡』響文社、2018。
同対談は『小さな夜をこえて 今福龍太対話集成』(水声社、2019)にも収録されている。
ブラジルの蟻塚は現地のインディオの言葉では「ムルンドゥ」