吉増剛造,マリリア【葉書Ciné】#5「石牟礼道子さんの秘密を解こうと思って…」2020.5.28(Quintafeira)

当動画の編集と運営は、書肆吉成とコトニ社が共同で行っています。

詩人・吉増剛造さんとシンガーソングライター・マリリアさんのgozo’s DOMUSというチャンネルで、 2020年4月30日より毎週木曜日に映像詩「葉書Ciné」をアップしています。

CICADA

Spring time in Paris
Wooden house “tokonoma”
Hon yara mui
A voice came to me

Cicada, cicala
Calmly sitting
On veil thin paper
Whispered to me

Paper fiber
Uneven
I quietly heard

Cicada, cigala
Paper fiber
Uneven
Mosaic eyes
Uneven
I’ll never forget

Cicada, cigala
Almost forgetting
Almost weeping
Slightly inclined

Spring time in Paris
Wooden house “tokonoma”
A voice came to me
Hon yara mui
Hon yara mui

葉書詩―吉成秀夫氏に。No.2. 23 MAY 2020 朝。
佃天台地蔵尊の銀杏(いちょう)の巨樹(きょぼく)の樹下(じゅか)のようなところで 21 MAY 2020 木曜日午後、小雨(こさめ)に烟(けぶ)るような空気(くうき)の下(もと)に、故友(こいう)、Haroldo de Campos(アロード・ジ・カンポス)氏の面影(おもかげ)のOHPに、何処(どこ)からか、差(さ)して来(き)たらしい、光(ひかり)の小さくて僅(わず)かな、…可愛(かあい)らしい光(ひかり)の斑点(はんてん)ともいいたくなる、…それを、心(こころ)に、…”焦点(しょうてん)に、…”というのよりも”心(こころ)に、…なのだ、…一心(いっしん)に撮影(さつえい)をしていた、…あの”剛造(ごうぞう)の心(こころ)…”は、一体(いったい)何(なん)だったのか、…。「偶然」を、その心(こころ)の芯(しん)のようなところに、おくようにしていたのは、わかるのだが、…あの”心(こころ)の芯(しん)に歌(うた)があったの、…”と問(と)う小声(こごえ)を聞(き)いて、僅(わず)かに誰(たれ)かゞ応(こた)える、…。”蝉(せみ)ね”と、”空洞(ほら)ね。”ゴゾhi


今福龍太対話集成『小さな夜をこえて』(水声社、2019)に収録の吉増剛造との対話のなかで、石牟礼道子が話題に上がっている。今福が石牟礼道子全集の解説を書くため水俣に向かうさい、水俣ではなく不知火海の対岸の天草に行く。そこで立ち寄った土地の名が「千々石(ちぢわ)」であり、二人の共著『アーキペラゴ』(岩波書店)の副題としてデザインされることになった。
この対談のなかで吉増が用意した「佃新報号外版」では、カフカ『城』に触れて「それがなくては生きては行けない空気」について記述されており、この空気が「それを吸い込んだり、少し吐き出したりすることが出来るようになって来たのだ、…という、全く予想もしていませんでした、…”蘇生”の口火(くちび)や管(くだ)が、その根や茎(くき)の繁茂への希(ねが)いが、この『書物』の成立によって、思いも掛けずに立ち現れて来た」(p277)とあるのは、注製作者(吉成)としてはコロナ感染の息苦しさのなかにおいて「それがなくては生きては行けない空気」のようなものとしてgozo’s DOMUSのユーチューブを配信している現状を言い当てられているような気持ちになり、ここに記し残しておきたいと思う(もうこうなると、注といえるのかどうか…、しかし、このように横道にそれる、横丁に入っていくような仕草もときには許されるのではないかという気がしている)。

アロード・ジ・カンポス
『表紙』(思潮社、2008)p106「漢字ノ紙ノ、爆けて燃える、音がして、黙って居たのが、ブラジルだった Haroldo de Camposに」がある。また、カンポスはブラジルのアイリッシュパブ「フィネガンス」で6月1日、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』にちなむブルームズデイという詩の朗読イベントを開催していた(『アーキペラゴ』p154、今福龍太『ここではない場所(岩波書店、2001)p205)。

ヤラムイ=アイヌ語で箕のこと、農具であり、神具。